戦国BASARA (バサラ) マガジン Vol.10 2015年 10月号 [雑誌] epubダウンロード無料

戦国BASARA (バサラ) マガジン Vol.10 2015年 10月号 [雑誌]


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戦国BASARA (バサラ) マガジン Vol.10 2015年 10月号 [雑誌]の詳細

本のタイトル : 戦国BASARA (バサラ) マガジン Vol.10 2015年 10月号 [雑誌]
発売日 : 2015/8/31
カテゴリ : 本
以下は 戦国BASARA (バサラ) マガジン Vol.10 2015年 10月号 [雑誌] の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
第一号から欠かさず購入してきた本誌もこれで一時休刊ということで、まだまだ特集してほしかった武将が多かっただけに残念。本来ならば☆5をつけて最後を見送りたいところだったし、誌面もかなりがんばっていたと思う。ただ、ツイッターなどというごく一部の偏った人間の反応だけを真に受ける姿勢はどうかと思ったが、これは現状のBASARA公式も同じようなので、方針を指示されたのか…とにかく編集部はお疲れ様でした。しかしたった2ページの山本真Dのコメント集や小林Pとの対談が相変わらず改善の余地なくひどかったので思わず☆1つけたくなるところだった。編集部の仕事と、森川氏はじめとする声優陣のBASARAを理解してくれているなと思えるコメントと、連載漫画勢にそれぞれ☆を差し上げたい。山本真Dの部分だけで言うならマイナス☆5である。皇もあまりのひどさにレビューに怒りをぶつけたが、BASARA自体を好きな気持ちは変わらなかった。これだけ何年も好きだとそう簡単には見放せないものなのだ。それで、性懲りもなく今回もBASARAマガジンを買ったのだが、他誌面の佳作ぶりに比べ、山本Dの妄言連発に、いよいよ潮時を感じてしまった。何だか知らないが、最近山本Dはやたらと史実がどうこう言い出す。たとえば今回のコメントで言うと「政宗は史実で天下を諦めて豊臣や徳川に降ったので、その史実がBASARA政宗が他人に天下を譲ってもいいという言い訳に僕の中でなっている」というものがある。長年BASARAに親しんできた人たちは、これを見てどう思うだろうか。政宗といえば、天下を目指す独眼竜というキャラクターだった。媒体を超えてそう描かれてきたし、今更天下を他人に譲ってもいいんですなんて言われてもぽかんとするしかない。もっとひどいのは、電撃PSの方で蒼紅について語っていた際の「政宗は天下を諦めざるを得なかった結果、幸村との武人としての頂上決戦を選ぶ」という、全方位馬鹿にした妄言だが、言い始めるとキリがないのでこの辺にしておく。4を作る時、山本D自身がこう言った。「いよいよ政宗の天下獲りをがっつり描きます!」4の政宗は天下獲りどころか、結局新キャラの接待を押し付けられ、自分の壮絶な過去を私利私欲で謀反した男の絶望なんぞに無理矢理重ねさせられ、よくわからない峰打ち教でも主人公力でいい話にするのかと思いきや、皇では救ったはずのそいつらに裏切られ、小十郎はあんなことに…という結果的に本当に悲惨なものだった。今回の中井氏の「新キャラとの絡みもいいが、旧キャラともっと意外な絡みや新しい関係性を見たい」というのはオブラートに包みまくった苦言でしかないだろう。中井氏は出陣の書でも政宗の別人化について苦労してフォローされており、声優陣にこれ以上いらん苦労をかけるなと公式に言いたい。そうしてやたら史実がこうだから…とかいうわりに、自分の都合の悪い史実は採用してないと言い切る。意味がわからない。ネタ切れを公言して憚らない山本Dは、3までストーリーを作っていた岡村志野さんがいなくなったあと本当に好き放題ねじまげている。岡村さんは「キャラクターにバックグラウンドはあるが、それをあえて明かすのではなく、台詞や行動の端々からユーザーに想像の余地を残したい」という主義をアニメの脚本家であるむとう氏に語って、彼を感心させ、その主義をアニメスタッフにリスペクトされた人だった。翻って山本Dはといえば、現状を見ていただければ一目瞭然である。4のストーリーの作り方は、たとえば「義輝にみんなが跪いてるシーンが見たい!」と思ったら、そこから逆算してストーリーを考えるというやり方だったそうだ。そして岡村氏はといえば「このキャラクターならこう動くはずだ、と、キャラクターの人間性にそってストーリーを展開する」と語っていた。つまり、完成されたキャラクターを用いたストーリーを作る資格のない人間が、ストーリーまがいのものを作っているのが今のBASARAなのだ。そしてキャラクターの生みの親ヅラしているが、山本Dが過去作のキャラクターを作ったわけではないことは、ちょっと熱心なファンならみんな知っているし騙されない。で、話は戻って、ひどいのは政宗だけかというともちろんそんなことはない。件の発言の直後、「秀吉と家康は何があっても絶対に天下を選ぶので、そこが政宗と彼らの違い」とか言い出す。うすうす感じていたのだが、山本Dという人は自分が開発のトップにいながら、戦国BASARAをプレイしたことがないのだろうか。そうとしか思えない。我々は直近でも、4と皇において、舞台からの逆輸入という最悪の形で、天下を諦める家康を手を変え品を変え見せられたばかりなのだが。作ったそばから何もかも忘れてしまう呪いにでもかかっているのか。政宗と幸村の決着に関するくだりでは「この人2をプレイしたことないんだな」と思わされ、政宗亡き後の小十郎についてのくだりでは「この人3の関ヶ原残影やったことないんだな」と思わされる。つまり、2も3も4もやったことないなこの人…ということ。じゃあ無印はやったふうに見えるのかというと、史実ではありえなかったドリームマッチを描くという作品誕生のコンセプトすら忘れ、史実詳しいです、史実ではこうなのでこうしました!アピールを始めているので論外である。まさか生みの親を名乗る人物が、作品の原点のコンセプトを否定しにかかるとは…恐ろしい時代になったものだ。電撃マオウの直近のインタビューで山本Dはこうも言っている。「最近のBASARAは昔はやらなかったことをあえて壊してやっているところがある」お察しである。昔はやらなかったことというのはなぜやらなかったのか考えてみてはどうか。先の岡村氏の発言と、現状のキャラクターの過去の切り売りという現象にこの発言は顕著にあらわれていると思う。「パラレルだからいろんな梵天丸時代があっていいと思う」…一見ユーザーに優しいようだが、譲れないこだわりとかそういうのはないのか。そういえばこの人は4からやたらパラレルという言葉を強調するが、パラレルなら何をやってもいいと思っているらしいのが恐ろしい。愛されるキャラクターには決して失ってはいけない芯があるはずだ。彼らにらしくない行動をさせまくったあげく、パラレルだから、と言えばいいと思っている人間に、何年もかけて育まれた愛すべきキャラクター達を委ねておかねばならないなんて本当に悲劇以外の何物でもない。今回のコメントとあわせて、この人が何も自省しない限りは、BASARAはこのまま多くのファンに見放されて終っていくのだろうと確信した。それは悲しいことだが、これ以上山本Dの三成および豊臣への妄執によって壊されていくBASARAを見ないで済むならそのほうが良い。ちょうど良い機会なので、自分自身も一旦離れることにした。過去のBASARAは今でもたまらなく大好きだ。もしもかつてのBASARAを取り戻してくれるスタッフが担当してくれるという奇跡が起きたなら…その時は心から祝いたい。本誌もその時、一緒に復活してくれることを願う。さようなら、「BASARAっぽい何か」に変わってしまった山本BASARA。

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